簿記論の受験にあたっては、とにかく問題を解いていました。
しかし、何の意識もなくただ問題を解いていたかというと、そんな訳でもありません。
漠然とした意識としては、計算式や解き方は、できるだけ覚えないで、答えを導きだせるようにする。
そんな気持ちで接していたようには思います。
覚えないことを絶対視する訳ではありません。
しかし、できるだけ覚えないように(覚えないで済むように)するためにどうすればよいのか。
そのことを意識していたようには思います。
その前提としての取引の仕組みの理解といったいわばさわりの部分に時間をかけることにはなったかもしれません。
ただ、テキスト等の記述は退屈(←失礼な)なので、問題を解いてはテキストというのを繰り返していた感じでしょうか。
日商時代から、簿記は「5区分の増減」と「按分」だと思っていました。
簿記で登場するのは、5つだけ。
資産、負債、資本、費用、収益だけです。
それが増えたり減ったり。
それをすごく意識する。
そしてそれを合理的に按分してきちんと損益や財産を計算する。
単純にいえばそんな感じです(ど、どんな)。
すべてを5区分(結局は仕訳や勘定記入)と按分に結びつけるようにしていれば、忘れにくいでしょう。
また、忘れたとしても記憶をたどるのが楽な筈です。
もちろん覚えなければならない部分はあります。
しかし、受験全般を通じての経験でもありますが、覚えなくてよい箇所は覚えない。
覚えなくてもできる手段があればその手段を模索する訳です。
これが覚えるべき箇所をきちんと覚えるための最大の工夫ではないかとも思います。
結局、忘れやすいのは勘定科目でしたが、これは典型的なものを最初に復唱していました。
ブツブツ唱える訳です。
ブツブツです。
原始的ですが。
今は、私の時代の受験時代の学習項目に割引現在価値の考え方が加わるという感じでしょうか。
新基準が入ったことによって従来的な取扱いで私の受験当時よりもやってないなという項目も増えています。
受験機関の総講義時間は変ってはいませんので。
それでもやはり学習上の負担は増えたと思います。
そして5区分と単純な按分に加えて、貨幣の時間的な価値(利息)を加味するという実際の生活感覚にない点がわかりにくさを増幅させているかもしれません。
学習項目は時代と共に移り変わります。
細部では、受験環境(市販の教材や受験機関のあり方)も変わったかもしれません。
しかし、私の時代と比べても本当の意味での学習方法が劇的に変った訳ではないと思います。
あれから随分と時間が経ちました。
時の経過と共に受験当時の記憶は知らぬ間に風化しました。
しかし、長く暑かったあの夏の日。
容赦なく照り付けていた陽射だけは今も鮮明に記憶に残っています。
私の合格体験記(完)
しかし、何の意識もなくただ問題を解いていたかというと、そんな訳でもありません。
漠然とした意識としては、計算式や解き方は、できるだけ覚えないで、答えを導きだせるようにする。
そんな気持ちで接していたようには思います。
覚えないことを絶対視する訳ではありません。
しかし、できるだけ覚えないように(覚えないで済むように)するためにどうすればよいのか。
そのことを意識していたようには思います。
その前提としての取引の仕組みの理解といったいわばさわりの部分に時間をかけることにはなったかもしれません。
ただ、テキスト等の記述は退屈(←失礼な)なので、問題を解いてはテキストというのを繰り返していた感じでしょうか。
日商時代から、簿記は「5区分の増減」と「按分」だと思っていました。
簿記で登場するのは、5つだけ。
資産、負債、資本、費用、収益だけです。
それが増えたり減ったり。
それをすごく意識する。
そしてそれを合理的に按分してきちんと損益や財産を計算する。
単純にいえばそんな感じです(ど、どんな)。
すべてを5区分(結局は仕訳や勘定記入)と按分に結びつけるようにしていれば、忘れにくいでしょう。
また、忘れたとしても記憶をたどるのが楽な筈です。
もちろん覚えなければならない部分はあります。
しかし、受験全般を通じての経験でもありますが、覚えなくてよい箇所は覚えない。
覚えなくてもできる手段があればその手段を模索する訳です。
これが覚えるべき箇所をきちんと覚えるための最大の工夫ではないかとも思います。
結局、忘れやすいのは勘定科目でしたが、これは典型的なものを最初に復唱していました。
ブツブツ唱える訳です。
ブツブツです。
原始的ですが。
今は、私の時代の受験時代の学習項目に割引現在価値の考え方が加わるという感じでしょうか。
新基準が入ったことによって従来的な取扱いで私の受験当時よりもやってないなという項目も増えています。
受験機関の総講義時間は変ってはいませんので。
それでもやはり学習上の負担は増えたと思います。
そして5区分と単純な按分に加えて、貨幣の時間的な価値(利息)を加味するという実際の生活感覚にない点がわかりにくさを増幅させているかもしれません。
学習項目は時代と共に移り変わります。
細部では、受験環境(市販の教材や受験機関のあり方)も変わったかもしれません。
しかし、私の時代と比べても本当の意味での学習方法が劇的に変った訳ではないと思います。
あれから随分と時間が経ちました。
時の経過と共に受験当時の記憶は知らぬ間に風化しました。
しかし、長く暑かったあの夏の日。
容赦なく照り付けていた陽射だけは今も鮮明に記憶に残っています。
私の合格体験記(完)