資格試験だけでなく、教育にも若干かかわっている。

内容は簿記だが、やる気のある者に高度な内容を教えるのとやる気のない者に初歩の内容を教えるのとでは、圧倒的に後者が難しい。

学びは簡単には起動しない。
例年、いろいろと工夫してみるもののうまくいったりいかなかったり。

若干の経験を重ねて感じたのはその難しさのみといったところ。

しかし、ほんの偶然が鮮やかに学びを起動させることもある。

今日はそんな偶然の話を紹介したい。



K君は、正直にいえばパッとしない学生だった。

不真面目というわけではないが、熱心でもない。

一言でいえば覇気がない。

成績もゆるやかな下降線をたどっていた。

たまに声をかけるものの反応もにぶい。



転機は不意に訪れた。

平日のある日。

とある駅まで出向いた帰りにK君にあった。

いや、見かけたという方が正確だろうか。

10台ほど並んだ自動改札機になんの気なしにやや大きなモーションをつけてスイカをあてたその視界の端にK君がみえた。

K君は、5台ほど離れたちょうど向かいの自動改札機を私とは逆方向に通るところだった。

私はK君が気づいたかどうかわからないままにスイカの入った財布を持った手をただ大きくあげた。

一瞬、顔を上げたようにも見えたが、距離もあり、気づいてくれたかどうかはわからない。

確認しようと後ろを振り向いてはみたものの人混みがそれを許してはくれなかった。

ただ、それだけの出来事だった。



翌週、K君に声をかけた。

「先週○○駅にいなかった?」

返事は相変わらずくぐもっていたが、すばやく上げたその顔に浮かぶ瞳は少しだけ輝いて見えた。



K君の成績はその後、目に見えて上昇していった。

私はただそのままにK君の成果を讃えた。

結局、1年の課程をK君はトップクラスで終えた。



あの日、たまたま改札機の前で大きく振りかぶる動作をしていなければK君は目に入らなかったかもしれない。

そもそもすれ違う機会がなければ。

いや、その日にそもそも駅に出向いていなければ。

K君の学びが起動したとすればそれは偶然にすぎない。

ただの偶然でしかないないのだ。

ただの偶然であること。

それが難しい。



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