講師をやっていると質問をよく受ける。

中でも勉強の仕方に関する質問は多い。


講師をやって、様々な合格者をみてきた。

本当に様々だ。

講師をやる以前は電卓は3本指でうつのが常識だと思っていた。

右よりも左の方がベターだとも思っていた。

しかし、右手一本の合格者を複数みると電卓の使い方一つとっても絶対などあり得ないことがよくわかる。

そこで感じるのは、あきれるほどの多様性だ。

誰にとっても確実でこれだといえるほど具体的な勉強の仕方などない。

これは断言できる。

あるといいきれるとすれば、それはまやかしにすぎない。

ただ、少し話を限定すれば、いくつか確実にいえることはある。

そのひとつである。




「苦しすぎる勉強の仕方は間違えている」




自分の受験時代を振替って、もう一度やってみろと言われれば断固拒否するだろう。

正直にいうともうイヤだ。

しかし、死ぬほど苦しかった、死ぬほどつらかったかというとそれもまた違う。

多くの合格者達もきっとそうだ。

合格者は決して自分の受験時代の話をすることを厭わない。

試しに誰かに聞いてみるといい。

嬉々として自分の受験時代を語るに違いない。

それはつらかったには違いないが、後で他人に語るべき意味をもったつらさなのだ。



苦しすぎる勉強の仕方は決して長続きしない。

そもそも人の脳はそんな状態を望んでなどいない。

どこかにムリがあれば、それが積み重なって、やがては勉強自体を苦痛に感じるようになってしまう。

長続きするような勉強法をまずは模索すべきなのだ。

苦しい。

やめたい。

そう思っている方も少なくないだろう。

もちろん継続することもやめることも本人の自由。

私はそのことには口を挟まない。

簿記ができるか、できないかなど人としての評価には微塵も関係がない。

しかし、継続する・継続する必要があるのであれば、いたずらに苦しみを持続させる必要はない。

そこは変える必要があるのだ。



ムリヤリに理論を詰め込んでいないか。

ムリヤリに計算を追いかけていないか。

頭が悲鳴をあげていないか。

体が自分の言うことを聞くか。

苦しすぎるかどうかは自分に聞けばいい。

答えはスグわかるハズだ。



あなたがもし合格者に受験時代の話を聞くなら、その後にやはりもう一度受験時代に戻りたいかも聞いてみるといい。

しなければならない努力の形もきっと見えてくるハズだ。