概念フレームワークでは、包括利益と純利益という二つの利益を併記しながらも純利益を重視する道を選びました。
しかし、包括利益に対する国際的な支持は大きいようです。
国際的な利益の表示をめぐる議論も包括利益か、純利益かという選択の議論になっているのではありません。
包括利益一本か、純利益の併記を認めるかの議論になっています。
この点、我国の制度上は、包括利益が表示されておらず(現在は連結財務諸表において表示されています)、意外に思われるかもしれません。
しかし、世界的な議論をみると包括利益の重要性が理解できると思います。
それではなぜ、世界は包括利益を選ぼうとしているのでしょうか?
包括利益が純利益に勝るものとは何でしょうか?
とはいうものの私ごときに包括利益か、純利益かという議論にオオナタをふるうことはできません。
なにしろ国際的に解決のついていない問題なのですから。
しかし、少なくとも世界が包括利益を選ぼうとしている理由の一端を知っておく必要はあるでしょう。
なぜ包括利益が重視されるかの大きな理由の一つが、純利益には、企業経営者の意思が反映する余地が大きいことがあげられます。
純利益は経営者の意思を反映することができる余地があるのです。
経営者がいじることができるのが純利益です。
その他有価証券のうち含み益の大きいものを売却すれば、純利益は増えます。
逆に含み損の大きいものを売却すれば、純利益は減ります。
その他有価証券は、時価で評価されるものの実際の売却をするか否かは企業経営者の手にゆだねられています。
我国でのその他有価証券の範囲を考えても必ずしも売却に制約のある有価証券だけではありません。
その他有価証券の売却が経営者にゆだねられる限り、純利益の操作がある程度は可能なのです。
これに対して包括利益を経営者が操作することはできません。
特定の有価証券の時価そのものに介入することはできないでしょう。
純利益の併記を認めない考え方(包括利益一本)の背後には、このような経営者の意図・意思を排除したいという視点があるといえそうです。
これまで日本では、収益の認識に実現主義が維持され、含み益が温存されてきました。
時にこのような経営は、含み益経営とも呼ばれ、日本的な利益平準化の経営に大きく貢献してきました。
概念フレームワークのとる純利益重視の考え方が、必ずしもこのような意味での日本的経営を象徴しているみるべきではありません。
しかし、仮に純利益の重視が理論的に正しかったにせよ、もはやまったく独自の会計基準を選ぶという選択肢はありません。
世界が包括利益に流れるとすれば、やがては大きな選択を迫られる日がくるというべきなのでしょう。
包括利益と純利益を巡る議論。
どちらが理論的にすぐれているのかで単純に結論が出せない点に奥深さがあるのかもしれません。
包括利益と純利益(10)へ
しかし、包括利益に対する国際的な支持は大きいようです。
国際的な利益の表示をめぐる議論も包括利益か、純利益かという選択の議論になっているのではありません。
包括利益一本か、純利益の併記を認めるかの議論になっています。
この点、我国の制度上は、包括利益が表示されておらず(現在は連結財務諸表において表示されています)、意外に思われるかもしれません。
しかし、世界的な議論をみると包括利益の重要性が理解できると思います。
それではなぜ、世界は包括利益を選ぼうとしているのでしょうか?
包括利益が純利益に勝るものとは何でしょうか?
とはいうものの私ごときに包括利益か、純利益かという議論にオオナタをふるうことはできません。
なにしろ国際的に解決のついていない問題なのですから。
しかし、少なくとも世界が包括利益を選ぼうとしている理由の一端を知っておく必要はあるでしょう。
なぜ包括利益が重視されるかの大きな理由の一つが、純利益には、企業経営者の意思が反映する余地が大きいことがあげられます。
純利益は経営者の意思を反映することができる余地があるのです。
経営者がいじることができるのが純利益です。
その他有価証券のうち含み益の大きいものを売却すれば、純利益は増えます。
逆に含み損の大きいものを売却すれば、純利益は減ります。
その他有価証券は、時価で評価されるものの実際の売却をするか否かは企業経営者の手にゆだねられています。
我国でのその他有価証券の範囲を考えても必ずしも売却に制約のある有価証券だけではありません。
その他有価証券の売却が経営者にゆだねられる限り、純利益の操作がある程度は可能なのです。
これに対して包括利益を経営者が操作することはできません。
特定の有価証券の時価そのものに介入することはできないでしょう。
純利益の併記を認めない考え方(包括利益一本)の背後には、このような経営者の意図・意思を排除したいという視点があるといえそうです。
これまで日本では、収益の認識に実現主義が維持され、含み益が温存されてきました。
時にこのような経営は、含み益経営とも呼ばれ、日本的な利益平準化の経営に大きく貢献してきました。
概念フレームワークのとる純利益重視の考え方が、必ずしもこのような意味での日本的経営を象徴しているみるべきではありません。
しかし、仮に純利益の重視が理論的に正しかったにせよ、もはやまったく独自の会計基準を選ぶという選択肢はありません。
世界が包括利益に流れるとすれば、やがては大きな選択を迫られる日がくるというべきなのでしょう。
包括利益と純利益を巡る議論。
どちらが理論的にすぐれているのかで単純に結論が出せない点に奥深さがあるのかもしれません。
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