思えば、今までにいったい何度の減価償却の計算を行ったことだろうか。
簿記検定受験時代から、税理士試験受験時代、そして受験指導にまわった現在。
これは全くの感覚に過ぎないが、少なくとも1万回は超えているのではないかと思う。
いや、5万か。
いや、数はいいか。
どうにも証明のしようがないし、また、その必要もないが、もし、カウンターがつけられるならつけておけばよかったと後悔している。
受験指導を行っていなければ、つけられたかもしれないカウンターが大きく増加することはなかっただろう。
実務的に減価償却の計算を行うことはもちろんあるが、実際に電卓を入れるという機会は極端に少ない。
パソコンがやってくれるのである。
専用のソフトはもちろん、表計算という便利なソフトもある。
私が計算するよりもよほど正確だ。
受験時代に同じような計算を何度も繰り返す意味はあるのかとの疑念に強くかられたことがある。
特に理論をかじってからはその思いが強くなった。
もちろんいろいろな出題形態はあるだろうし、応用的な論点もある。
減価償却の計算がない総合問題の方が珍しいかもしれない。
どう考えても減価償却の計算が不要な筈はない。
おそらくは同じような償却計算をただ繰り返すことに、ただ、辟易していたのかもしれない。
減価償却の本質は、取得原価の利用期間への配分にある。
しかし、あらかじめ決められた方法での償却計算をいくら行っても、減価償却が費用配分であることの意味はみえてこない。
償却計算のみをいくら行ってもおそらくは減価償却の本質はみえない。
繰り返す意味はある。
しかし、繰り返すのみでは、みえないこともあることは心得ておくべきといったところだろうか。
(関連エントリー)
・質より量に学ぶために必要なこと
簿記検定受験時代から、税理士試験受験時代、そして受験指導にまわった現在。
これは全くの感覚に過ぎないが、少なくとも1万回は超えているのではないかと思う。
いや、5万か。
いや、数はいいか。
どうにも証明のしようがないし、また、その必要もないが、もし、カウンターがつけられるならつけておけばよかったと後悔している。
受験指導を行っていなければ、つけられたかもしれないカウンターが大きく増加することはなかっただろう。
実務的に減価償却の計算を行うことはもちろんあるが、実際に電卓を入れるという機会は極端に少ない。
パソコンがやってくれるのである。
専用のソフトはもちろん、表計算という便利なソフトもある。
私が計算するよりもよほど正確だ。
受験時代に同じような計算を何度も繰り返す意味はあるのかとの疑念に強くかられたことがある。
特に理論をかじってからはその思いが強くなった。
もちろんいろいろな出題形態はあるだろうし、応用的な論点もある。
減価償却の計算がない総合問題の方が珍しいかもしれない。
どう考えても減価償却の計算が不要な筈はない。
おそらくは同じような償却計算をただ繰り返すことに、ただ、辟易していたのかもしれない。
減価償却の本質は、取得原価の利用期間への配分にある。
しかし、あらかじめ決められた方法での償却計算をいくら行っても、減価償却が費用配分であることの意味はみえてこない。
償却計算のみをいくら行ってもおそらくは減価償却の本質はみえない。
繰り返す意味はある。
しかし、繰り返すのみでは、みえないこともあることは心得ておくべきといったところだろうか。
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・質より量に学ぶために必要なこと
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