以前、「二人の投資家」という記事を書いた事があります。
アメリカの著名な投資家である「ソロス」と「バフェット」をとりあげたものです。
実際のところ正確といえるかはわかりませんが、ソロスには、「投機家」のイメージが伴い、バフェットは、「長期投資家」と呼ぶにふさわしいように思えます。
そして、金融先進国アメリカを象徴しているのは、やはりソロスなのでしょう。
記事の最後の部分はかなり迷いました。
アメリカを象徴するのはソロスだと決め付けてしまうのか、判断を保留するのかです。
結局、記事では、判断を保留し、アメリカを象徴するのは、ソロスか、バフェットかという問いかけで終えています。
しかし、私自身が必ずしもバフェットがアメリカを象徴していると思っている訳でもありません。
アメリカには、二人の例をあげるまでもなく、投機家と呼ぶべきような人もいれば、長期投資家と呼ぶべきような人もいると思います。
アメリカの投資家のすべてが、投機家たる訳ではないでしょう。
しかし、金融市場の発達につれ、際立つのは、投機家です。
そして、金融市場が発達すればするほど、金融市場そのものを左右する可能性のあるのもまた投機家です。
その事は、「規制のない自由な金融市場」から離れた「別の価値基準」とは関係がありません。
金に色がなく、その周囲から規制を取り除く以上、文化や道徳、また、人の感情などとは関わり無く、動き回る筈です。
とりとめがなくなりつつありますが、ここ数年の会計制度改革の根底にあるのは、極端にいうとこのような「無機質な金融市場」の働きと関係がありそうです。
中途半端に話を広げてしまいましたが、後日、日本の話に戻して、我国でも変わりつつある(?)「会計の目的」について考えてみたいと思います。
アメリカの著名な投資家である「ソロス」と「バフェット」をとりあげたものです。
実際のところ正確といえるかはわかりませんが、ソロスには、「投機家」のイメージが伴い、バフェットは、「長期投資家」と呼ぶにふさわしいように思えます。
そして、金融先進国アメリカを象徴しているのは、やはりソロスなのでしょう。
記事の最後の部分はかなり迷いました。
アメリカを象徴するのはソロスだと決め付けてしまうのか、判断を保留するのかです。
結局、記事では、判断を保留し、アメリカを象徴するのは、ソロスか、バフェットかという問いかけで終えています。
しかし、私自身が必ずしもバフェットがアメリカを象徴していると思っている訳でもありません。
アメリカには、二人の例をあげるまでもなく、投機家と呼ぶべきような人もいれば、長期投資家と呼ぶべきような人もいると思います。
アメリカの投資家のすべてが、投機家たる訳ではないでしょう。
しかし、金融市場の発達につれ、際立つのは、投機家です。
そして、金融市場が発達すればするほど、金融市場そのものを左右する可能性のあるのもまた投機家です。
その事は、「規制のない自由な金融市場」から離れた「別の価値基準」とは関係がありません。
金に色がなく、その周囲から規制を取り除く以上、文化や道徳、また、人の感情などとは関わり無く、動き回る筈です。
とりとめがなくなりつつありますが、ここ数年の会計制度改革の根底にあるのは、極端にいうとこのような「無機質な金融市場」の働きと関係がありそうです。
中途半端に話を広げてしまいましたが、後日、日本の話に戻して、我国でも変わりつつある(?)「会計の目的」について考えてみたいと思います。
アメリカの金融って事で首を突っ込みます(笑)
アメリカの金融といえば、ヘッジ・ファンドやベンチャーキャピタルといった投資のイメージが大きいですね。
上記の投資は時として一国の経済を動かすぐらいですからね〜
ただ、金融先進国というだけあって、その裏側では資産の流動化スキームの発達も進んでいますよね。
特に証券化なんてのは上記2つに比べたら地味ですが、リスク分散と投資家の選好に応じた投資が可能になる。
そのおかげで投機的な投資が可能になっているのも事実・・・
発達した金融スキームのなかで、バフェット的な投資家とソロス的な投資家が多く共存する事で、アメリカの経済が成り立ってるのかもしれませんね。
日本の金融はアメリカより10数年遅れていると聞きますが、会計的にも今後はアメリカ寄りの感じになってくるのでしょうか?