何がきっかけだったかは記憶にないが、学生時代に友人とハンバーガー10個を水なしで食べられるかという賭けをしたことがある。

それもどちらがということではなく、私が食べられるかである。

今にして思えば随分と一方的な気もするが、おそらく私がいつもの調子で「そんなの簡単だ」位の軽口を叩いたのかもしれない。


本当に簡単だと思っていた。

学生時代は、経済的ゆとりもなかったし、ハンバーガーを腹いっぱい食べることなど想像もできなかった。

1個や2個のハンバーガーで空腹は満たされない。

当然、その時は、「食える」と思っていた。

しかし、実際に実行してみるとこれが食えないのである。

これも今にして思えばあたりまえの話だが、食える訳がない。

でも、何故か食えると思っていた。



知人に子供のときからプリン(いやゼリーだったか)が好きだった輩がいて、曰く、大人になったらバケツ一杯のプリンを食うんだと思っていたという。

私にはプリンにそれほどの思い入れはないが、きっと、とても思い入れのある食べ物だったに違いない。

そしてどうやらそれを実行したらしいのだ。

ただ、結末は聞いていない。

いや、聞くには聞いたのだが、ただ、苦笑いを浮かべるだけなのである。

あまり突っ込んで聞くのも大人げないと思いあっさりと引き下がったが、どうやら自分の想像とは大きくかけは離れていたらしい。

最後まで食べられなかったか、あるいは、食べるには食べたのかはわからないが、いずれにせよ幼少の時代に恋焦がれたバケツのプリンではなかったようだ。



今では曲がりなりにも簿記を指導する私にも受験時代に恋焦がれた「バケツのプリン」がある。

それは、「簿記の問題」である。

たくさんの難問をスイスイと解いてみたいと思った。

そしてスイスイといったかは別にして、実際にも多くの問題を解いたと思う。

そして、合格し、今では、それを人に伝えてもいる。

正直にいうと「今」も「バリバリと問題を解いていた受験時代」も問題を解くのが好きだったのかといわれると、答えは否である。

その意味で、私にとっての簿記の問題(を解けること)は、やはり、バケツのプリンだったのだと思う。

ただ、私にとって幸いだったのは、「バケツのプリン」は「簿記の問題」や「簿記の問題を解くこと」であって、「簿記」そのものではなかったということであろうか。