今でも鮮明に記憶に残っている。

「簿記で覚えることは一つもありません」

私が受験生だった当時の講師が初回の講義の冒頭で開口一番に発した言葉である。

講師の声は自信に満ちていた。
資産の増加(負債の減少)が借方に記入されるというルールは覚える以外にない。

それ以外は覚えること、暗記する事などないというのが、その講師の持論であった。

資産・負債、資本(純資産)、費用、収益の増減の記録については、全く逆の体系があり得る。

これは覚えるしかない。

しかし、それ以外は、簿記以前の常識的なことや法律の規制等を除けば、覚えることなどないというのだ。


その講師の言が全面的に正しいのかどうか私にはわからない。

むしろ、一方的な結論を押し付けるべきではないとも思う。

おそらくは、その講師の言は、安易な暗記に頼り、むしろ出口を見失いがちな受験生に対して向けられた刺激に満ちた警句ととるべきなのだろう。


あれから随分と時が経った。

それ以来、件の講師には会っていないが、今も同じ事を言っているのだろうかと、ふと考えることがある。

私はといえば、未だ自信も持てずに、「簿記で覚える事は一つもない」とは言えないままでいる。