ブログ(内田樹の研究室)でもおなじみの内田樹氏の「街場の教育論」のご紹介です。

著者はフランス文学の研究者。

勤務大学である神戸女学院大学での講義録をもとにしたわかりやすい著者の教育論。

しかし、お名前は「たつる」とお読みするんですね。

知りませんでした。


資格試験以外の教育にもちょびっとかかわっており、教育はこのままでよいのかという思いはあります。

もちろん私ごときがどうこうできる問題ではありません。

でも、自分が参考になると思える書籍や言葉を紹介することも全く役に立たない訳でもないでしょう。



「今ここにあるもの」とは違うものに繋がること。それが教育というものの一番重要な機能なのです。(同書40頁)


教育の本質について、著者はこのように語ります。

しかし、異質なものは繋げようと思っても簡単には繋がりません。

教育の難しさもそこにあるのでしょう。



税理士試験に直接関連するような話題はありませんが、専門家に関する次のような記述をみつけました。

他の専門家とコラボレートできること。それが専門家の定義です。他の専門家とコラボレートできるためには、自分がどのような領域の専門家であって、それが他の領域とのコラボレーションを通じて、どのような有用性を発揮するかを非専門家に理解させられなければなりません。(同書92頁)


簿記バカ化しているどこかの誰かもきっと深く頷いていることでしょう(←ほっとけ)。



よい先生について書かれた次の記述も考えさせられます。

優勝劣敗のこの社会の競争ルールそのものに異を唱えながら、それでも子どもたちには成功と勝利を求めるような先生。弱者、敗者に対して深い共感を寄せながら、強者、勝者の努力を評価することを忘れない先生。今の社会を支配しているイデオロギーに完全には同意しないし、完全に反対するわけでもなく、その中で引き裂かれている先生。だから、言うことがときどきつじつまの合わない先生。それが「よい先生」です。(同書115頁)


いや、よい先生も大変です(つじつまの合わない先生は、自信があるのですが)。



……人間は自分が学びたいことしか学びません。自分が学べることしか学びません。自分が学びたいと思ったときにしか学びません。
……教師の仕事は、学びを起動させること、それだけです。(同書158頁)


学びを起動させること。

それだけ。

たったそれだけ。

でも、それが難しい。



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