私の受験時代と大きく変わった点に問題の解説が、詳しく、わかりやすくなった点があげられます。

一見、とてもよくなっている解説。

皆さんは、この解説とどう付き合っているでしょうか?

問題の解説との付き合い方を考えてみました。
以前「解説の検算してませんか?」という記事を書きました。

そこでの主眼は、「解説は見ない」というものでした。

もう少し解説の種類も考えた上で、解説の利用法を考えてみたいと思います。



解説の検算をする必要がない点は変わりません。

わかりきった問題の解説にある検算は不要でしょう。

時間のムダです。



まるでわからない問題の解説にある検算も必要ありません。

わからないのにどうやって計算したのかを追わなくていいのか。

追う必要はありません。

追っても意味がないからです。

まるでわからないのに計算の式だけを追っても、何らかの意味で簿記の力が強化されることはありません。

むしろ「その問題をやった」という記憶を残すだけ有害かもしれません。

「わからなかった」という記憶を残すべきです。

その問題はやっていない、できていない。

その問題に必要な知識を補充するか、まだ時期が早かったとして保留すべきでしょう。

きちんと「わかっていること」と「わかっていないこと」を区別するためにも中途半端に解説を読んで見直す必要なんかないと思います。



微妙なのは中間です。

わかっていてとけたハズなのに間違えた。

このときは解説を見ることも必要でしょう。

できたけれども何かひっかかるものがあった。

そんなときもよいです。

ただ、それでも私は、問題の直接的な解説を追う必要は全くなく、テキストに戻るか、問題ともう一度取組む方が、効果は高いと思っています。

結局のところ個別的な(具体的な解放を書いた)解説はそれほど見る価値があるとは思えません。



ただし、解説が一般的であれば、それはテキストの抜粋とかわりません。

そんな解説は、逆におおいに読んで欲しいと思います。

特にその一般的な説明がその問題とどうかかわっているのかを意識した解説は、グットです(って、これが難しいんですが)。

でも、あまり直接的な解説だけに頼っていては、いつまでも応用力がつきません。

そして特に先にいったときに「できない原因」がはっきりとわからなくなってしまう弊害が大きい気がします。

解説を書く身からすると解説をできるだけ読むなというのは、自分のしていることを否定するようでもあり、ちょっと言いにくいです。

でも、ちゃんと言っておかないと。

問題に対する出来(事前の知識)と解説の内容を見比べて、検算のワナ(算式のチェックをして勉強した気になってしまう)にはまらないように注意しましょう。



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